概要
読み方 | こうもりづかこふん |
指定 | |
形状 | 前方後円墳 |
墳丘長 | 100m(説) 97m(*1) |
横穴式石室 | 全長19.4m(岡山県最長) |
築造時期 | 10期(集成編年) 6世紀後半(説) |
その他 | 岡山県三大巨石墳 埴輪や葺石はない(*1) |
行き方
備中国分寺の北側の駐車場に車を停めて行くと近い。
探訪レポート
探訪日:2023年1月12日(木)
※掲載写真は断りがない限り当日撮影したものです。
備中国分寺の北側の駐車場から東へ向けて歩き出すと、すぐに墳丘の森が見えてきます。
では、石室を見てみましょう。
こうもり塚古墳は前方部が北東方向を向いており、石室の入口はよくある南向きということで、くびれ部分ではなくて、後円部の先端に近い場所に開いています。
切通し状になっている部分がありますね。
切通し状の部分には天井石は架されておらず、最初からこういう造りになっており、墓道と呼びます。
現在の石室入口より若干手前から大型の壁石が見えますね。
ここで、説明板の図をもう一度見てみましょう。
図では、羨道の始まり位置を現在の石室入口の場所よりも少し手前にしていますので、もう2枚くらいは天井石があったようです。
石室内に入るとかなり段差があり、今はこのように階段が設置してあります。
ただし、上図を見ると分かる通り、現在の石室入口は整備の際にかなりいじられていて、先ほど歩いた墓道も整備の際に嵩増しされているようです。
図を見ると現在の石室入口にしきみ石のようなものが描かれていますが、三角形をしていて形状が不審で、おそらくこれは閉塞石が積んであるのを省略して記してあるものでしょう。つまり、築造当時は、石室は半地下ではなく、墓道から普通に段差無く入って行けたようです。
玄室内には入れないようになっています。
羨道の天井石とまぐさ石の組み具合。
綺麗に整形されています。
玄室は両袖型です。
玄室には大型の刳抜式家形石棺が置かれており、格子の間からカメラを突っ込めば撮影できますよ。
岡山県内の後期古墳から見つかった家形石棺は6例知られており、こうもり塚古墳のこの石棺は、浪形石と呼ばれる県内井原市近辺で産出される貝殻石灰岩です。また、奥壁には大きな鏡石が使われていますが、それだけでは高さが足りず、もう1段積んでいます。
ところで、上図を見れば分かる通り、大型の家形石棺を安置してもまだスペースに余裕がありますね。
玄室内には、石棺以外にも陶棺が置かれており、総社市埋文学習の館で見ることができます。
このように場所によって色の違いがあるのは、パーツごとに焼成するためです。脚のパーツは、円筒埴輪そのもののような形です。
元々のイメージはこんな感じ。
ここに記されている通り、全国の700例の4分の3以上が吉備にあり、しかも美作に非常に多いです。以前、AICTで美作を探訪した時に津山郷土博物館でたくさん見ました。
私は今まで、陶棺を見た経験が多くあるわけではないですが、このデザインは珍しいように思えます。最古級の陶棺とのことです。
また、釘が検出されていることから、さらに木棺があったことが想定されています(総社市埋文学習の館では、平井典子先生から丁寧な説明をいただきました)。
さて、こうもり塚古墳の天井石も、今まで見てきた吉備の石室同様に丁寧に整形されており、これもまた切石なんですが、角の部分を丸めています。
壁面と同じ石材のはずですが、整形の違いが見受けられ、それによって質感が違く見えるんですよね。面白い。
ところで、以前来たときは墳丘に登れたのですが、今日は墳丘は立入禁止になっていますので、登りません。
それではつづいて、作山古墳へ行きたいと思います。