概要
読み方 | かみたかつかいづか |
指定 | |
種類 | 集落跡・貝塚 |
時期 | 縄文時代後・晩期が中心 |
特徴 | ・全国有数の規模の貝塚 ・形状は馬蹄形 ・貝はヤマトシジミが主体 |
令制国 | 常陸国 |
行き方
茨城県土浦市上高津1843 上高津貝塚ふるさと歴史の広場
土浦市立考古資料館の駐車場を利用する
説明板
探訪レポート
探訪日:2022年1月22日(土)
※掲載写真は断りがない限り当日撮影したものです。
上高津貝塚は、A~D地点の貝塚と、製塩遺構がみつかったE地点の計5か所からなります。
考古資料館を出て上高津貝塚ふるさと歴史の広場に向かうと、A地点が現れます。
A地点には貝層断面展示施設があるので見てみましょう。
では、広場に行きます。
おー、広くて素敵な空間。
何となく、反時計回りに歩いて見ようと思います。
B地点には展望デッキがあります。
デッキに登ると貝殻の散布が見られます。
こうやって人が入れないようにして、貝殻が散らばっている様子を見せる手法はいいですね。
というか、貝殻は散らばっているというより、堆積している一部が露出していると言う方が正しいですね。
土器片や石器も見られるようですが、それらを見つけるにはそれ相応の視力が必要かもしれません。
現在は展望デッキから海は見えませんが、往時のこのイメージ図のようだったのです。
つづいてC地点です。
C地点では、住居跡や墓壙(ぼこう)などが見つかっており、居住域であったことが分かります。
住居に関しては、3軒が復元されています。
第4号住居にお邪魔します。
はっきりと炉と分かるようなものは復元されていませんが、地床炉だったのでしょうか。
縄文人は住居のすぐ近くに墓を作りました。
C地点でも墓が見つかっており、復元されています。
手前のは円墳ではありませんよ。
作ったときは土饅頭のようになっていたことを想定して、このように復元しています。
いまでも地方に行くと、土葬の風習の名残で土饅頭がポコポコある墓域にたまに遭遇しますが、そういうイメージだったのでしょう。
つづいて、E地点にやってきました。
ここではちょっと面白い遺構が出ています。
こちらは掘立柱建物の復元。
実際の上物はこうだったかは分かりませんが、説明板によると、作業用の小屋のような建物だったと推定しているようです。
こういうのって人によって考え方が異なりますし、本当のところは分かりませんが、すぐ近くにさきほど考古資料館で展示を見た製塩用の大型炉が見つかっていることから、作業小屋として考えるのが無難かもしれませんね。
こちらが製塩用の大型炉の復元です。
製塩の遺構の復元が見られる遺跡は多分今まで見たことが無いと思うので、これはある意味、この遺跡の一番の売りかもしれません。
あー、気持ちよく歩けた。
仲間と来て喋りながら歩くとそこそこ時間が掛かるかもしれませんが、ザッと散策する程度であれば30分あれば全体を見ることができます。
貝塚は現地に行ってもヴィジュアル的に弱い場所が多いのですが、ここは良いですよ。
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