概要
読み方 | いわせせんづかこふんぐん |
指定 | |
形状 | |
規模 | |
築造時期 | |
特徴 | |
令制国 | 紀伊国 |
行き方
紀伊風土記の丘の駐車場に止めて登ると良い
説明板
全体像
800基以上の古墳からなる全国屈指の大規模群集墳なので全体を把握するのが大変。
探訪レポート
探訪日:2022年2月20日(土)
風土記の丘資料館を起点として登ると、前山A地区の古墳の石室めぐりができます。まずは、前山A地区の古墳を見学しながら尾根を目指しましょう。
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前山A13号墳
最初に現れた前山A13号墳には、破れかけたブルーシートがかかっています。
いきなりあまり印象が良くないですね。
ブルーシートをまくって中に入ってみましょう。
なんだ、中は素敵じゃないの!
岩橋千塚古墳群周辺に特徴的な、石棚と石梁がちゃんとありますよ。
石棚が本当に設備用の棚になっている。
岩橋型横穴式石室の特徴はこれだ!
なお、この図は前山A13号墳の石室ではなく、一般的な岩橋型横穴式石室の特徴を説明した模式図です。
全体的に板石を積んで構築しており、奥壁にも畿内型石室によくある巨大な鏡石は使っていません。
ただし、板石といいつつも、たまにちょっと大きめの石も積んであって面白いですね。
前山A13号墳の場合は、玄室の床から外へつながる排水溝があります。
岩橋千塚古墳群の他の古墳にも同じものあるかどうかは分かりません。
暗渠の上の大きめの石は、玄室前道基石(げんしつぜんどうきせき)という、これまたローカルな呼び名のパーツですが、面白いことに、その部分のみ玄室前道という区画としています。
玄室前道については、最初の岩橋型横穴式石室の模式図を見て確認してみてください。
ということで、ブルーシートの中には素敵な石室がありました。
しかし、最初から独特な石室が見られて面白かった。
この周辺の古墳配置図はこんな感じです。
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前山A17号墳
前山A17号墳には、横穴式石室はないようです。
墳頂に登ってみましょう。
箱式石棺が直に埋められているような感じですが、これは石棺を見せるための復元です。
説明板に記されている通り、前山A17号墳は5世紀の築造で、岩橋千塚古墳群の中では古い部類の古墳です。
実は岩橋千塚古墳群も5世紀の頃にはまだ古墳の数が少なく、6世紀初頭から爆発的に増えるのです。そして7世紀後半まで古墳が造られ続け、「千塚」というニックネームが付くほどの大群集墳となりました。
被葬者は、紀氏一族とされます。6世紀以降、紀氏一族の勢力が相当大きくなったことが古墳から分かります。
では、5世紀以前の紀氏はどうだったのでしょうか。
岩橋千塚古墳群ではなく、他の古墳との関連で述べることにします。
前山A24号墳
なんか、入口が2段になっているように見えますよ。
説明板によると、上の穴は盗掘抗のようですね。そこにあった石をどけたのだと思いますが、なぜどける必要があったのでしょうか。盗掘しようとしたときには結構土砂で埋まっていて、手っ取り早く上の方から行こうと思ったのかもしれません。
切通状になっているのは、後世の改変ではなく、もともとこういう石組のない羨道だったんですね。
よじ登って盗掘抗らしき穴から覗きます。
石梁が見えます。
では、玄室に入ってみましょう。
玄室内は、盗掘抗の穴が明り取りになっていて明るいです。
前山A23号墳
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前山A46号墳
ヴィジュアル的には今一ですが、しっかりと整備した風の佇まいです。
径27mという大きさは、前山A地区では最大規模ということです。標準サイズは、14~5mくらいです。
墳丘上から新羅系の高坏が出ているとのことですが、被葬者が渡来系の人であったかは分かりません。ただし、葬送の儀式の際に、新羅系の人が参列したのは間違いないでしょう。
前山A46号墳の石室入口は、後世に破壊されています。
羨道を通って、玄室前道に入ります。
玄室前道の前にあった扉石が横にどかされています。
こういった大きな板石で部屋の入口を扉のようにして塞ぐのも岩橋千塚古墳群の特徴の一つです。
ただし、扉石の使用自体は他の地域でもたまに見ることができます。
おーいいねえ。
玄室の天井を見上げると・・・
うわっ、石梁祭りだ!
いい石室でした。
前山A47号墳
前山A47号墳は、竪穴式石室です。
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前山A56号墳
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前山A65号墳
前山A65号墳には竪穴式石室が2基設けられています。
前山A67号墳
前山A67号墳は、先ほど見た前山A46号墳と並んで、前山A地区では最大の円墳です。
ようやく尾根まで登って来た。
ひゃー、良い眺めだー。
頑張って登った人だけが見ることができる景色です。
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前山A2号墳
尾根上にある前山A2号墳の墳頂には、他の古墳でも良く見る設備がありますよ。
なるほど、横穴式石室を上から見学できるんですね。
というかT字形!
これは珍しいです。
T字形といえば、対馬の矢立山古墳を思い出しますが、一般的には、T字形石室は大陸との関係が濃厚とされます。
当然ながら、紀氏といってもそれは擬制的関係で結ばれていますので、その中には渡来人もいます。むしろ、渡来人がいないということはあり得ませんね。
今度は北側の紀の川方面の眺望。
現在地を確認しましょう。
前山A地区を北側から登ってきて②の場所まで来ました。
今私が登ってきたルートが正解かどうかは分かりません。見ていない古墳もありますから、もしかすると他にも素晴らしい石室があるかもしれません。さすがに悉皆する時間はないので、ここから尾根伝いに、西側にある大日山35号墳を目指しますよ。
なお、①の天王塚古墳も魅力的ですが行きません。
石室は普段は公開しておらず、しかも地図を見て分かる通り孤立しています。麓からだと往復で1時間半かかるそうです。今いる場所(②)からもし行けるとしても、一旦谷に降りてからまた登るので、等高線の狭まっているところを避けて巻いてから登ったとしても結構な距離がありそうだし、多分道はないです。
さて、6世紀以降の紀氏がどのような人びとで構成され、そのような組織(社会的階層)を持っていたのかを探るには、岩橋千塚古墳群を歩くのが一番です。もちろん、説明板にはそんなことは書いてありませんが、今まで見てきた前山A地区を見て何を感じたでしょうか。
つづいて、尾根上の古墳を見ますが、それと併せて考察することによって、より立体的に紀氏の様相が見えてくるはずです。